« 日記:驚きの吸引力 | トップページ | 長編:『自警自治組合』 »

2006年7月20日 (木)

掌編:『アリとキリギリス伝説』

 アリとキリギリス伝説

 彼がうちを訪れたのは風に雪の匂いがしはじめた頃でした。

「こんばんは、夜遅くにすみません」
 暖炉を離れ、戸を開けると背の高い見慣れない方がいました。
「こんばんは。はて、貴方はどなた?」
 彼はコートの首周りを右手でスッと締めて、
「僕はキリギリスです。楽師をしています」
 彼は左手に提げたくびれのある黒い鞄を見せました。
「ほぅ、楽師さんですか。さぁさぁ、寒かったでしょう。お入りなさい」
 彼を暖炉の前に通して毛布を一枚と、温かいスープの入ったマグを渡しました。
「ふぅ……落ち着きました」
 私はもうひとつ椅子を引っ張って来て、
「キリギリスさんは見慣れない御姿ですが、どちらから?」
「私は北のほうにある中央公園から来ました」
 彼はスープをもう一口すすります。
「なんと、中央公園ですか。都からではこのなかよし公園はさぞ遠かったでしょう?」
「そうですね、想像以上でした」
 彼のマグが空になったのを見て、もう一杯いかが? と聞くと、彼はもうしわけなさそうに、でも、嬉しそうにマグを差し出しました。
「車道もあったのでしょう?」
「はい」
 一言で一度言葉を切って、スープを一口、
「ありました。大きな通りが六つほど、でしょうか。車が怖いので夜に渡りましたよ」
「勇気がおありですね。私達には、ちょっと無理です」
「僕には、頼りないですが羽がありますから」
 彼はちょっと照れて背中をさすった。
「こんな遠くまでどのような御用事で?」
「この辺りの公園に、英雄的なキリギリスの物語があると聞きまして、それで一曲だけでも弾き語りたかったのです。御存じないですか?」
 私はちょっと考えて、
「すみません、私はちょっと」
 キリギリスは遊び人でぐうたらだ、と聞いた事があったので、何かの間違いだと思ったのですが、彼は話とは違う雰囲気でしたからそれには触れませんでした。すると、
「そうですか」
 彼はひどく落ち込んだ風でしたので、
「もう雪も降りますし、うちでよければここで冬を越されて、また探すのもいいと思いますよ」
 彼は何か苦しそうな表情を見せましたが、
「ありがとうございます、御世話になります」
 と丁寧にこたえ、お辞儀をしました。

「キリギリスさんの歌って素敵ね」
「バイオリンも素敵よ」
 あれから四日、昼の暖かい日が差している頃を見計らって、彼は広場でアリの仲間達に歌と楽器を披露してくれました。その年はどの家も年越しの蓄えも少なく、皆疲れた顔をしていたのですが、彼の演奏を聴いている時だけは違いました。
 でも、うちを出る時必ず一瞬寒そうに震えるので、さすがにその日は止めたのですけれども、結局その日も皆を楽しませたのでした。
 私は帰って来た彼を奮発した食卓で迎えて、
「キリギリスさん、今日は食べてもらえますよね?」
「いえ、泊めていただいているのに、大切な御飯まで御馳走になるわけにはいきません」
「毎日そう仰いますが、大丈夫。たくさんありますから、どうぞ遠慮無く」
 彼はぐぅ、となるお腹を押さえて、
「とても嬉しいです。でも、実は僕、お肉を食べられないのです。ですから、お気持ちだけいただきます」
「え、それでは何をお食べになるのです?」
「葉っぱとお野菜なら」
「そうなのですか。では、冬眠はすぐなのですね」
 彼はちょっと考え、
「そうですね、今夜辺りそうさせてもらいます。御迷惑かと思いますが」
「迷惑だなんてそんな事ありませんよ。おやすみなさい、いい冬を」
「はい、おやすみなさい」

 彼は次の朝、亡くなりました。初雪が降った静けさのしみる朝でした。キリギリスさんは冬眠をしない、と知ったのはその後すぐです。
「キリギリスさん」「キリギリスさん」
 皆が悲しむのをみて、
「私達を元気付けてくれたキリギリスさんの事を忘れないように、本に書いて語り継ぎましょう」
 皆無言で頷くのでした。
 その冬はキリギリスさんの残してくれた身体もあって、皆無事に冬を越す事ができたのです。

 *

 私は長く伝わる背の擦り切れた本を閉じました。
「ここがあの伝説の公園だったのですね。御話を聞けて、はるばる来た甲斐がありました」
「そうですか、私達も旅の方にはいつも喜んでいただけて嬉しいです」
 旅の楽師さんに暖かいスープの入ったマグを渡し、一言つけ加えます。
「葉っぱもお野菜もたくさんありますからね」

 了












 読んでくださってありがとうございます!

 もし楽しんでいただけたようでしたら、

 小説ランキング投票にもご協力くださいませ。(^^

ブログランキング





|

« 日記:驚きの吸引力 | トップページ | 長編:『自警自治組合』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/41487/4506470

この記事へのトラックバック一覧です: 掌編:『アリとキリギリス伝説』:

« 日記:驚きの吸引力 | トップページ | 長編:『自警自治組合』 »