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2007年2月 1日 (木)

掌編:『モダーンラウンジ』

  モダーンラウンジ

「あっお義母さん! ……今日もお出かけ?」
 軽いハスキーボイスが友枝の背中に当たった。
「いえね」
 友枝は一文字ずつゆっくりと答え、曲がった背をゆっとり捻る。振り向いた先には台所に立つ嫁、長身で細身の小百合がこちらを見ていた。台所の磨り硝子は遅めの朝日を吸い込んで真っ白に光る。友枝にはそれが眩しくて小百合の表情まではわからない。
 ただ、つい三日前、孫の事で少々の衝突があってからなんとなく小百合のハスキーボイスに棘を感じていた。今になって思えば、小百合の意見は正しかったのだし、そうでなくても少し言いすぎたと後悔している。いつもよくしてくれて別段辛く当たられているわけではなかったものの、なんとなく、ただ何となく重たい空気に罪悪感を感じていた。
「ちょっとね」
 合いの手を入れられるくらいに間を置き、
「老人会のね、集まりに入って来ようかと思うのよ。お昼もそちらで頂こうと思うのだけど」
 小百合の様子を伺いながら伝えた。
 お気に入りのこげ茶のケープはもう肩にあり、よそ行きの帽子も手に持っている。行くな、とは言われないだろうが、事後報告をするようで気がひけた。
「あ……そう……」
 この酷く曖昧な声色は容認だろうか。声の主は元より美声とは言えないため幾分解釈が難しい。
 不明瞭な彼女の態度を受け、ちょっとものい(身体がだるい)から今日は家にいるわ、と口を開きかけたところに、
「いってらっしゃい」
 許しが出た。
「でも、あまり遅くならないでくださいね」
 条件付きではあるけれど、友枝は帽子を被り西向きの玄関から外へ出た。

 友枝が向かう先は『日向館』、街からやや外れた丘にある。
 今日は日差しが少し強いらしく背に日光を感じた。
 日向館へ続く並木道はまっすぐに続いていて、坂は中間付近から緩やかに傾斜が変わるので遠目には弓なりにしなって見えた。友枝はそのまま行けば空に通じていそうなこの道が好きだ。
「的場さん」
 どれほどか歩き、真ん中を過ぎた辺りで声がかかった。
「はい?」
 友枝はやはりゆっとりと後ろを振り向く。
「あら、前田さん」
 声でわかっていたが目で確かめてから口にした。
 同じように伸びない腰でゆるゆると歩いてくる人物は日向館のお友達、ハンチング帽と握りがついたステッキがトレードマークの男性だ。完全に白髪ではあったが禿はない。細面でヒゲのない口元や丸い眼鏡がチャーミングな紳士である。
「いやいや、的場さんはお若くていらっしゃる。下で見かけてこれでも追いつこうと頑張ったんですが」
 ふふふ、と口を緩ませながらも肩では息を切らしている。彼はダンディーなのだ。
「まぁ、お人の悪い。お声をかけてくださったらよかったのに」
 ふふふ、と友枝も緩む。片手に提げていたバッグを両手で持ち直し身体の前に添えた。
 ふたりは並んで道を歩く。
 これといって目新しい話題はないけれど軽い笑みがこぼれるほどに楽しい。
 楽しい時ほど早く過ぎるというのは本当でふたりはほどなく木々の隙間に日向館を見た。

 日向館は大正時代に建てられたお屋敷である。
 遠くヨーロッパから建築家を呼び寄せ造らせた洋館で、その建築家の趣向ゆえか石造りの中にも木材を多く取り入れた様式だ。白い石肌と年月を重ねた木肌が、美しく、それでいてしっとりと辺りにとけている。
 この日も、館と館を囲む木々達はとても穏やかで心地好い静けさに満ちていた。
 歴史ある建物なのにどこにも傷んだ箇所はなく、東向きの正面ドアもしっかりと厚みがあり虫に食われた様子すらない。
 ハンチング帽を脱ぎ、重厚な扉を引いた紳士は、どうぞ、と淑女を招き入れる。
 淑女は、ありがとう、と微笑み日向館にその一歩を踏み入れた。
「あぁ」
 思わず感嘆がもれる。
 すっと開いた両の耳へと楽器の調べが伸びやかに吸い込まれ、はっと色を取り戻した瞳に鮮やかな世界が飛び込んでくる。
 シャンデリアが煌くロビーでは、華やかに艶やかにたおやかに彩られた若き紳士淑女達が談笑している。
 顔に皺を刻んだ者は誰一人としていない。
 淑女達は色とりどりの美しいドレスを身にまとい、優雅に挨拶を交わす。口に手を当てくすりと笑うそぶりもとても上品で可愛らしい。
 紳士達は燕尾服を着こなし、若竹のように清々しく立ち振る舞う。時にしやなかに淑女をエスコートする姿は頼もしい。
「今日も皆さんお元気そうね」
 鈴のように澄んだ声が皆の安泰を喜んだ。
 この場に在っても全く見劣りしない純白のノースリーブドレスで身を包んだ淑女、彼女は輝く瞳でロビーを見渡し緑の黒髪を豊かに揺らした。彼女のドレスはシンプルなデザインではあるけれども、シンプルゆえに左の胸元を飾る白薔薇のリボン細工が麗しく、なめらかにほっそりと伸びる素肌は透き通るほど。
「そうですね」
 彼女の手をとるため軽く膝を折り右手を差し出した丸眼鏡の紳士は、スッキリ伸びた上背も健やかでやはり誰にも劣らぬ若さと凛とした頼もしさがある。黒々と艶のある髪はダンディーなオールバックスタイルでこれもとてもよく似合っていた。
 彼女は彼の手に自分の手を添えると、
「ワルツね」
 小さく呟いた。
 ロビーのさらに向こう、舞踏会場から流れてくる音に耳を寄せる。すると、
「こうみえてもたしなみ程度に心得があります。的場さん、私でよければお相手願えますか?」
 キリと引き締まった面立ちと、そこはかとない優しさを湛えた瞳が彼女を見下ろしていた。
 少しはにかんだ様子だったがやがて初々しく傍らの紳士を見上げ、
「えぇ」
 友枝は淡雪のように微かに口元を緩ませた。

 長い坂を下る。
 まっすぐ麓へと延びる坂は傾斜こそ緩いものの、登りよりも膝に来る。曲がった腰にも一歩一歩が案外響く。
 夕日は丘の上から小さな丸い背を照らし、長い影を彼女の行く先へ垂らしていた。
 早く帰ってくるよう小百合に言われていたのに、今日はいつにもまして時間が早く過ぎてしまいすっかり帰りが遅れてしまった。
 確かに小百合は鬼嫁ではないけれどお気に入りのケープやよそ行きの帽子に指が触れるたび、
「ごめんね」
 思わず呟いてしまうのだ。

 家に着いた頃、もうとっぷりと日が落ちていた。
 どうしよう、とどうしようもない事を考えながら玄関の前に立った。
 謝らなければ、それだけが頭に満ちてドアに手をかける。
「お義母さん!」
 びくっとかけた手を離し、友枝は自分が来た方向へ向き直った。
 彼女を呼んだのは自転車にまたがった小百合だった。
 小百合はぜぇはぁ息もきれぎれに自転車から降り、膝に手を突きうなだれた。
 帰りの遅い自分を探していたんだと気が付いて、友枝のどうにもいたたまれない。
「小百合さん、私……」「お義母さん」
 しかし、詫びの言葉は遮られる。
 スカスカの酸素不足でますます磨きのかかったハスキーボイス、小百合の視線はあしもとに落ちたままだ。
 小百合は呼吸のために大きく肩を二、三度上下させ、グッと固唾をのむとそのままの姿勢で言葉を紡ぐ。
「お義母さん……ごめんなさい。つまんない事で意地になって……意地になっていたのが恥ずかしくて……謝りたいのに……謝れなくて……謝れないのが苦しくて……やっぱり恥ずかしくて……妙な空気作っちゃって……でも、今日は謝れると思って……頑張って……。でも、でも……もしかしだら私のぜいで……気に病んで……そのぜいでどこがで事故にでも遭っだんじゃないがって……心配で……怖ぐて……それで……だがら……ごめんなさい……」
 絞ったような声はいつの間にかぐしゃぐしゃに濡れていた。
 膝から崩れ自分よりも小さくなってしまった小百合にそっと寄り添い、友枝はその頭を撫でる。しわしわで筋っぽいその手にぽたり、涙が落ちて自分も泣いている事にやっと気が付いた。
「ごめんね、泣かない泣かない。小百合さんは悪くないよ。帰りが遅れた私が悪いんだから。だから泣かないで、ね?」
 一分弱ぐしぐししていた小百合だったが垂れた鼻水をハンカチで拭き、涙目のままニパッと笑った。
「今日ね……お義母さんの誕生日だから。ケーキもあるんですよ。作ったの、自分で。美味しいかどうかわからないけど。……お誕生日おめでとう」
「あら、あらあら」
 ぽっかり自分の誕生日を忘れていた。だから、早く帰ってきてね、と言われたのだ。
 友枝は意識せず焦げ茶のケープに触れる。
 日向館はこれからも素敵で大事な秘密の社交場、それは変わらない。
 それでも友枝は初めて本心から思う。
「老いるのも悪くないわねぇ」
 口元に手をあてくすりと笑った。

 了











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投稿: 物書きネット | 2007年2月23日 (金) 12時44分

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