2007年2月 1日 (木)

掌編:『モダーンラウンジ』

  モダーンラウンジ

「あっお義母さん! ……今日もお出かけ?」
 軽いハスキーボイスが友枝の背中に当たった。
「いえね」
 友枝は一文字ずつゆっくりと答え、曲がった背をゆっとり捻る。振り向いた先には台所に立つ嫁、長身で細身の小百合がこちらを見ていた。台所の磨り硝子は遅めの朝日を吸い込んで真っ白に光る。友枝にはそれが眩しくて小百合の表情まではわからない。
 ただ、つい三日前、孫の事で少々の衝突があってからなんとなく小百合のハスキーボイスに棘を感じていた。今になって思えば、小百合の意見は正しかったのだし、そうでなくても少し言いすぎたと後悔している。いつもよくしてくれて別段辛く当たられているわけではなかったものの、なんとなく、ただ何となく重たい空気に罪悪感を感じていた。
「ちょっとね」
 合いの手を入れられるくらいに間を置き、
「老人会のね、集まりに入って来ようかと思うのよ。お昼もそちらで頂こうと思うのだけど」
 小百合の様子を伺いながら伝えた。
 お気に入りのこげ茶のケープはもう肩にあり、よそ行きの帽子も手に持っている。行くな、とは言われないだろうが、事後報告をするようで気がひけた。
「あ……そう……」
 この酷く曖昧な声色は容認だろうか。声の主は元より美声とは言えないため幾分解釈が難しい。
 不明瞭な彼女の態度を受け、ちょっとものい(身体がだるい)から今日は家にいるわ、と口を開きかけたところに、
「いってらっしゃい」
 許しが出た。
「でも、あまり遅くならないでくださいね」
 条件付きではあるけれど、友枝は帽子を被り西向きの玄関から外へ出た。

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2006年11月12日 (日)

短編:『立派な悪魔になりたいのっ!』

 立派な悪魔になりたいのっ!

 あまりにも、彼女はあまりにもダメなのだ。
 どれくらいダメかと言うと、それはそれはもうどうしようもなくダメなのだ。

「アンタさぁ、やめちゃいなぁ。向いてないって今の配置」
「でも、ほら、あれでしょ? えっと……その……ほらぁ、ね?」
 魔界一と誉れの高い〝喫茶るしふぇる〟で娘がふたりお茶をしている。どちらもなかなかの容貌だ。
 転職を勧めたほうは美人系でおねえ系で背の高い細身の娘、レザーファッションが板についているところから察するに人間発電所の職員だろう。
「ワタシんとこ来なよ。鞭もってさぁ、『キリキリ働けぇーい! 暗いじゃない! 暗いでしょー!』って叫ぶだけでいいんだよ? 楽なもんだって。アンタにだって勤まるよ」
 ほらね。
「でも、あたしは営業したくていろいろ頑張ったんだよ? あたしは人を不幸にする立派な悪魔になりたいの」
 こちらは相方とは対照的に可愛い系で妹系で背が低い。唯一細身である点は同じかも。
 灰色のダッフルコートは営業職のトレードマークなのだが、魔界随一と謳われる景勝〝灼熱溶岩渓谷(極一級河川認定)〟を望むこの喫茶ではやや浮いて見える。営業職にはこれとは別に、白いブラウス、黒いサテンベスト、蝶ネクタイに黒いキュロットといった支給服もあるのでここに来るならそっちがよかったんじゃないだろうか。まぁ、彼女はそういう抜けた娘なのだ。
「頑張ったって何を?」
〝真紅の悦び背徳ブラッドワイン(ノンアルコール)〟のグラスに口をつけ相方に目をやる。できる女の余裕がそのまま余裕として現れていた。できる女は脚の組み方からしてセクシーだ。
「大学でもちゃんと専攻したんだから。――拷問術基礎のAとBでしょ。空言術基礎、ダメダシ術基礎、篭絡術基礎、それに通信で居留守選科も。それから、それからさぁ……」
 その友人は指折り数えるダメ娘にため息が出た。
「ちょっと待って。アンタのそれって全部基礎じゃない。それにさ、試験だって赤点ギリギリだったんでしょ? 単位ヤバイって言ってたじゃん」
「そんなことないよ! 駄料理術はダントツトップの成績だったんだから! まずい料理を〝作らせる腕〟は魔界一なんだから!」
 目に星を入れ力説する彼女に相方も僅かに怯む。だが意外だ、この娘にひとつでもとりえがあるなんて。
「アンタ自身の料理も魔界一まずいじゃん」
「そ、そんなことっ! ……ちょっと……あるけど……」
 そういう裏があったか。
 ダメっ娘は、気まずさを誤魔化すように〝大吟醸真冬のサンゴ礁(アルコール度数九八%)〟をこぼれないように裾から呑んだ。こちらは渋くコップ酒なのだ。
「アンタ、よくそんなの呑むね」
「え? おいしいよ?」
 水位がコップ九割五分ほどに下がったあたりで手に持ちひとくち。そのひとくちでさらにコップ半分になる。
「ほら、おいしい」
「知らないって」
 酒は結構いけるようだ。酒呑みはわからん、と下戸の相方は首を振る。それでもとめないところを見ると酒癖は悪くないのだろう。
「そういやさぁ」
 グラスを回し思い出したことを口にする。
「アンタ、今日なんか用事あるんじゃなかったっけ? 総督府にどうの、とか」
「うん、そう……実はね、ミスしすぎちゃって……異動……かも……」
 酒豪のダメっ娘は急に萎れてしまった。対して相方は無糖缶コーヒーほどの微妙な苦さで緩む。
「知ってる。有名すぎて誰でも知ってるよ。あんな事やこんな事、狙ってやったんじゃなきゃそれはそれで才能かもね。――ま、悪魔のじゃないと思うけど」
「でも、宝くじで鈴木さんが一等当てちゃったのは、あたしが操作した直前にイリーガルな人が一枚買ったからだし、スミスさんが大発明しちゃったのも、実験が失敗するように薬品のラベルを書き換えた後だし……」
「だからアンタじゃん。やっぱり」
「えー」
「えー、じゃない。だからワタシは言ってるのよ、アンタ外勤向かないんだからこっちおいでって。こっち来たら案内するからさ。うちの地下食堂もなかなかよ? Aランチは牡蠣が多くてお勧めかな」
「あたし、牡蠣きらーい」
「あ、そう。――んで、大丈夫なの?」
 とはいえ、ふたりはやはり親友のようで彼女も急に心配そうな顔になる。持つべきものは友、というわけだ。これは魔界であっても変わらない。
「どうなるかなんて、そんなのわからないよ」
「あ、いや、時間なんだけどさ。まだ大丈夫?」
「大丈夫。一時だから」
 危なっかしい親友にふーんと返し、彼女は自分の腕時計をちらりと見た。
「んっ? ……ってちょっと! も、もう一時半だけど!」
 テーブルが揺れ縦長のグラスまで倒れそうな勢いで身を乗り出す。グルンとグラスの淵は円を描きコトンと戻った。
「まだ十二時だよ。ここから魔鉄で十五分で着くし。ほら……あ、れ? ごめん止まってたみたい。電池切れかな?」
 事の重大さに当の本人はいまだ気付いていない様子だ。これほど高レベルなダメっ娘はそうそういないに違いない。
「ちょっ! だっ! なっ! と、とにかくさっさと行くっ! ここワタシが払っとくからっ!」
「ごめんね、お願い」
 といいつつも、真冬のサンゴ礁を一気に煽ってから店を出て行く彼女は結構太いのかもしれない。

「あーそう、そんな感じでチャチャッとお願い。他はそっちの御任せで。お礼に今度おごるからさぁ。――え? そこうまいかって? うまいに決まってんでしょ? 変な店にゃ連れてかないよ。俺がハズレに誘ったことある? ――だろー? だからさ、よろしく頼むよ。俺ンとこでも手に負えなくて。あっ、ごめん、今やっと来たみたいだから切るわ。んじゃまたー」
 黒タキシードに蝶ネクタイ、腰にまで届こうかというほど長髪の彼は、耳にかかった黒髪をかきあげながら受話器を置いた。ダイヤル式の黒電話がチンッと鳴る。執務用とはいえ倹約が行き届いているようだ。
 コンコンと遠慮がちなノックがダンスホールほどもある広大な執務室に響く。大理石の床に木目の美しい壁、天井から豪奢なシャンデリアが下がるこの部屋はそれくらいに静かだ。……前言撤回、倹約するトコロを間違えている気がする。
「入れ」
 さっきまでの軽薄な口調から三百六十度回転し、さらに百八十度回ったあたりの声でドアの向こうへ呼びかけた。
 入って来たのはダッフルコートの酒豪ダメっ娘。人に合う前に酒を呑むのは魔界では極普通のことなのでこれに関しては常識的だ。
「ま、魔王様、あの、遅れてすみません!」
 この男が魔王らしい。人間ならば齢三十前後といったところか。案外若い魔王である。しかし、たぶんタダの若作りだろうと思う。なぜならば、重厚な執務机の端にはiPOTmahoがあるのだが、これの総天然色液晶の画面にはグループサウンズの名曲達やジョン・レモンのタイトルが踊っているのだから見た目以上の年齢であるのは確実だ。
「遅れたのはいい」
 むしろ、なにやら裏のありそうな電話していたようだし遅れてくれて助かったんじゃないだろうか。
「お前は研修中だな」
「は、はいっ!」
「魔界公社の営業三千七百十八課所属。勤務期間は六ヶ月と七日だな」
「はいっ! そうです!」
「……そんな大声で答えなくていい。十分聞こえている」
「はいっ! すみません! ……すみません」
 肩で息をつき改めて彼女を見る。
 始末書ではおなじみの名前と顔だったが、直に会うのはこの日が初めてだったようで、なるほど、と力が抜けた。
「君は、君が起した不祥事の件数を知っているかね?」
「え? えと……えと……」
 指折りはじめた彼女を前に、さらなる脱力が魔王を襲う。魔王も大変だ。
「六十七件だ」
「そんなにありましたっけ?」
「ありましたよ」
 言葉遣いもなっていない、昨今の若者はホントに、と愚痴が出るようなら立派なおじさんなのだが、魔王陛下は幾分〝悪魔ができている〟ようでおじさん症状はなかった。想像よりも精神は若いのかもしれない。
「六十六回で止まっていれば縁起もよかった。だが六十七回では面白くない」
 雲行きが悪くなってきたと流石のダメっ娘でも気が付いたらしくあせあせと取り繕う。
「あ、あの、それだったら、ちゃんとした営業を一回して六十六回にするっていうのは……どうでしょう?」
「君ね。営業してくるのは当たり前。ミスの回数は減らない」
 頭が頭痛で痛いのか額を抑える魔王。魔界でも責任者は頭痛胃痛に悩むのだ。
「半年でこれだけの不祥事を起した例はない。――であるから、君には罰を与える」
「はい……」
 骨の髄からしまったーと苦い顔の彼女に魔王は無慈悲に言い放つ。
「君を許す」
「えっ?」
 意外な言葉に彼女は耳を疑った。
「君を許す、と言ったのだ」
「えっ? ……えぇぇぇ! そ、そ、そんな!」
 すっとんきょに声を裏返し彼女の顔からみるみる血が引いていく。
「君が起した問題数は度を超している。甘んじて受けろ」
「ひ、酷すぎます……確かにあたし、たくさん……で、でも……」
〝許す〟という行為は神や天使に属する所作であり、悪魔である彼女にとってそれは百万の拷問を百万年受けるよりも凄絶な仕打ちなのだ。いわば魔界の極刑である。
 魔王は、涙をぽろぽろとこぼしはじめた彼女を一瞥し、ならば、とM下幸之助も納得の壁掛けテレビをスイッチポンした。もちろんリモコンだ。
「では猶予をやる。これを見ろ」
 彼が示した画面にはひとりの青年が映されていた。画面の端には〝LIVE〟と出ているからたぶん録画ではなく中継なのだろう。
 青年はともすると〝美〟がつきそうな面立ちで、そこそこいけてる魔王といい勝負ができそうだ。髪は適度に短く、茶のスーツと同色のスラックス、タイは紺色の取り合わせ。地味といえば地味な平々凡々なサラリーマンである。
「あの、この人は?」
 質問する彼女は幾分上気しており、こんな状況であるにも関わらず青年に興味があるようだ。ダメっ娘だって恋する権利はある。……状況を選ばないのがダメっ娘のダメっ娘たる由縁なのだが。
「これはどこにでもいる、タダの、極々普通の、一般的な、特色のない、平均的なサラリーマンだ」
「はぁ」
「彼を不幸にして来い。できたなら二時間空気椅子の刑を与えてやる」
「ホ、ホントですかぁ!」
 キラキラ光る彼女の瞳は何についてこれほどの輝きを見せているのか。好みの男を不幸にできる喜びなのか、刑を与えられる快感なのか。
「だが」
 彼女の眩しいキラキラを払うように魔王は続ける。
「日が落ちるまでにもし不幸にできなかった場合――」
 意味深に言葉を切られ彼女も、なんですか、と乗り出す。
「君を悪魔から除名し天使に落とす。以上」
「う゛っ……」
 その程度しか声も出ないだろう。
 まさか、この世でもっとも美しく輝かしく、修学旅行で寝ている間に額に肉と落書きしていった犯人よりも忌むべき存在である、あの天使にされてしまうなんて。悪魔にとって最大の屈辱、最大の刑だ。これに比べれば〝許される〟ほうがン億倍増しに違いない。

 というわけで、彼女は地上に上がっていた。
「どうしよう……」
 愕然と肩を落とし、夢遊病者のように彼を捜す。
 万が一失敗すれば彼女は天使にされてしまう。これ以上の悲劇があろうか。もっとも、〝万が一〟は失敗ではなく成功につけたほうが彼女の場合それっぽい。
 もうだめだー、と口からエクトプラズムを吐きつつゆらりゆらりと歩く彼女……非常に怪しい。
 しかし、どん底の彼女にもツキはちゃんと回ってくるようだ。どんな偶然か、お目当ての彼がまさに〝偶然〟急接近していたのだ。
 人々がすれ違う歩道、うつろな目で彼女が向かう先二十メートルにカバー付き単行本を読みながら歩く彼がいた。しかも、彼女のほうへ歩いていた。本当にどんな偶然なのか。
 もうだめだーの彼女と活字に夢中の彼、ふたりはどんどん近づく。
 十五メートル、彼女は気付かない。
 十メートル、彼女は気付かない。
 五メートル、彼女は気付かない。
 二メートル、彼女は気付かない。
 一メートル、彼女はまだ気付かない。
 で、
「きゃっ」
 お約束だ。
 ダッフルコートの彼女は正面から彼にぶつかり後ろにこけた。こけたといってもペタッとしりもちをついた格好だ。
「あっ、すみません! 大丈夫ですか?」
 映像で見た時は華奢なイメージだったが、ぶつかってみるとそれなりに筋肉質らしくよろける仕草もない。スーツの脇腹を叩くように手を拭き、その手をサッと出す。結構紳士じゃないか。
 彼女の手を取り、くっと立たせる。その仕草も極々自然で、正常な成年男子なら不意に出てしまうようないやらしさは全くない。ますますもってジェントルマンである。
「あの、大丈夫でしたか? すみません、よそ見してて御迷惑を」
 そこまで言うと背広の胸ポッケから純白のハンカチーフを出し彼女に渡す。……ここまで来るとちょっとキザだ。あまりカッコよすぎると男の敵になるので彼は注意が必要だろう。
「あ……いえ……」
 しぼんでいた風船にじわーっと空気が入り彼女は力無く微笑んだ。

「なるほど、営業ですか」
「はい、営業なんです」
 彼女と彼はすぐ近くの喫茶に入っていた。半地下のここは紅茶とスコーンが美味いらしい。彼はときどき利用するようで彼女のぶんも好みを聞きつつ注文していた。もちろん、ここの払いは彼だ。ごめんなさい代である。
「何を扱っていらっしゃるんですか? 商品とか」
「えと、魔を……」
「マオ?」
「あっ、じゃなくて! ま、まー、……まー? マッ! マジックです! 魔法とかじゃないですよ! こうやってキュッキュッて書くマジックです! あのマジックです!」
「あぁ、はい、あのマジックですね?」
「はいっ! そのマジックですっ!」
 彼女は語彙荒くつんのめるように力説する。
 しかし、不思議なことに彼はちっとも妙に思ってはいないようだ。こんなに怪しい彼女を前にしても動じない。普通なら、もしかして不思議ちゃん? と首を傾げるところなのだが……この男、いろいろな意味で侮れない。
 ちなみに、彼女が言葉を切った『魔を』の続きは『さす』だった。つまり、彼女の営業とは『魔をさす』こと。人間の弱い部分に〝魔〟を刺すわけだ。
「あ、そうだ、すみませんでした。これ僕の名刺です。もしお怪我などされていましたらこちらへご連絡ください」
「どっ、どうも」
 彼が差し出した名刺によればどこぞの出版社で働いているらしい。
 名前は〝簾出雅美〟とある。
「〝のれんでまさみ〟さん?」
「〝すでまさみ〟、です」
 訂正しにっこりと微笑む。
 彼女はもう一度名刺に目を落とし、すで、すで、と心の中で称えた。〝のれん〟と読むには〝暖〟の字が足りないことを彼女は知らなかったようだ。それでも、魔界から来て日本語を話せているのだから、もし彼女が人間なら十分に優秀な部類ではある。
「簾出さん、この後お仕事はいいんですか?」
「今日はもう上がりだったんです。この二日間は徹夜でして。……あ、すみません、においます?」
 首を曲げ袖を鼻に寄せてから、もうしわけなさそうに前髪を掻いた。
「いえ! そんなことないです! 全然ないですからっ!」
「それならいいんですが」
 彼女はダメダメのダメっ娘だが一応ここへ来た理由は覚えている。そう、彼を不幸にするのが使命だ。
 と、そこへ好機到来。ウェイトレスがカップと紅茶のポットを持って彼の向こうからやってきたのだ。
 ちちんぷいと彼女はウェイトレスの靴底に超強力接着剤〝トレールZ〟を付けた。悪戯術基礎Cで習ったモノだ。これは回っている独楽を立てたまま止めてしまうほど強力なのだが接着一秒後には粘着力を失うという優れた悪戯魔法である。
「あっ!」
 見事にウィトレスは転び、宙を舞う陶器製の丸いティーポットは彼の背中にぶち当たってお茶をまいた。
 ごむっと鈍い音を立てた後、ぐふっ! と奇妙な悲鳴。重そうなポットを背中に受けてテーブルに突っ伏す彼は背中を紅茶で染めている。奇跡的にポットは割れてはいない。
 ウェイトレスは何故自分が転んだのかわからず驚き、すぐにお客に痛烈なダメージを与えていると気が付いて蒼白になった。
 それを仕掛けた彼女のほうも予定より確実に二レベルは痛そうな音を聞いて、しまったーと思った。
「すすすみませんっ! すっ、すぐ代わりのお洋服を持って参ります! じゃなくて、弁償の布巾を! でもなくて、えと! そのっ!」
 完全に何がなんだかわからなくなった彼女はわたたと凄まじい速度で何か間違った言葉とジェスチャーを組み上げる。ダメっ娘もさすがに彼女に悪いことをしたと思ったようでとても気まずそうな顔をした。
 とはいえ、これで彼女は課題をクリアした。誰がどう見たってこれは不幸だ。小さなボーリング玉を背中に喰らい、さらに紅茶の追い討ち。彼と彼女に悪いな、とは思いつつもとりあえず天使にならずにすむわけだ。
「うぅ……」
 彼もやっと状況を飲み込み、身に振りかかった不幸について「不幸だ」と語る。
 はずだった。
「効いたー。あー、ちょっと肩こりとれたみたいです」
「えっ?」「はっ?」
 これはいったいどこから引き出された台詞だろう。彼は不幸を呪うどころか肩こりが治ったと言う。さすがにこれは誤算だ。というか、この反応はあまりに非常識だ。どうやら酒豪ダメっ娘悪魔よりもよっぽど彼のほうが不思議ちゃんだったらしい。
「で、でも、紅茶がっ! すみません!」
 そうそう紅茶と肩こりは関係ないだろう。さぁどう返す不思議青年〝簾出雅美〟。
「大丈夫ですよ。っていうより、ありがとうございます」
「はっ?」「えっ?」
 次はダメっ娘とウェイトレスの吃音が入れ替わった。
「いえ、実はこれ、記事を書くためにお借りしている新製品のサンプルなんですよ。何をしても汚れないって謳ってまして。防水性もあるはずだから――ほら、中も大丈夫」
 彼は背広を脱いでシャツを見せた。確かにシミはない。背広のほうには紅茶が滴ってるものの布巾で拭けばわからなくなりそうだ。洗濯してしまえば本当にシミも残らないんじゃないだろうか。

 彼は只者ではなかった。
 スコーンの中にコインを入れたらガリッと噛んだそれが結構な値打ちモノだと言い、砂糖を塩に変えると嘘みたいな塩ダイエットが流行っていると言う話になり、とどめにお勘定では店のつり銭を全部十円にしたのだが何故だか彼は巾着のようなガマ口を持っており、十円貯金をしている旨を打ち明け、これにもえらく喜んだ。百円や五百円ならともかく……十円貯金なんて聞いたこともない。
 ダメっ娘にしては前例がないほど真剣に悪さを仕掛けたのだけれども彼には全く効果がない。暖簾に腕押し、ぬかに釘、たくさん魔力を使ってしまいすっかり疲れてしまった。
 半地下の喫茶を出るともう日の入りが近いとわかった。空はすっかり茜色で、あと数分で貴女は天使、と語っている。
 彼女の視界が不意に歪んだ。
 立派な悪魔になりたくて、でもダメで。結局〝立派な悪魔〟どころか〝ダメ悪魔〟ですらなくなってしまう。もうすぐ彼女は忌むべき天使になってしまう。
 脚はもう動かない。ぽろぽろとコンクリートの階段に雫を落とすだけだ。
 少し前を歩いていた彼は背後の靴音が消えたのに気付き振り向いた。
「あの……どうされました? やっぱりどこか痛いんですか?」
 一段降り、二段降り、三段降りて、彼女の二段手前で屈んだ。覗き込むように顔をあわせる。
「違うんです……違うんです……」
 ふるふるとただただ首を振る彼女に数秒の沈黙を預け、彼は胸ポッケから二枚目の純白ハンカチーフを出して彼女の手に握らせた。
 彼女も受け取ったそれで両目を拭う。それでも涙は止まらない。
 天使になってしまう自分、もちろんそれは死ぬほどイヤなのだろう。
 でも、涙の色は今や単色ではない。あれだけ酷い目に合わせた彼が優しくしてくれる。それがロジックとは無関係な涙を生んでいた。彼は立て続けに起きた不運の元凶が彼女だとは知らない。それでも、彼がたとえそれを知らなくとも、彼女は知っているのだ。
 彼女から感情が溢れている間、彼は何も言わない。何も聞かない。
 ただじっと彼女を待っている。彼女が満足するまで一歩と離れていない距離で声をかけるでもなく手を伸ばすでもなく待っている。
 彼女は何も言わない彼に目元を拭いながら視線を向けた。すぐに視界がぼやけるのではっきり見えたのは一瞬だ。
 でも、彼は明らかに辛そうな顔をしていた。
 そう、彼は今不幸だ。
 ビルの谷間に日が落ちた。

「よかったね」
「うん。……ほんと」
 魔界一の景勝地〝灼熱溶岩渓谷(極一級河川認定)〟を望む魔界一の〝喫茶るしふぇる〟で娘がふたりお茶をしている。
 片方は比類なきダメっ娘、片方は人間発電所のセクシーな職員。
 セクシー娘は相方が無事再起できたと聞いて喜んだのだが、なにやら親友は骨抜き状態でマブダチとしてはどうにも気になる。
 で、聞いてみた。
「もしかしていい人見つけた、とか? ……まさかねぇ。あははは……は?」
 反応はない。どうやらこれはかなりの重症らしい。
「はぁー……悪魔でいられてよかったけど……天使になるのもよかったかも……」
「って! なっ!」
 ガタッと立ち上がり親友の額に手を当てる。とても、極めて、最大に心配顔で親友に諭す。
「アンタ疲れてるのよ。ちょっとお休み貰いな。早速明日からでも。それがいい。うん、〝針の山タワー〟とかいいらしいよ?」

「世話になったなぁ。ホント感謝ッス!」
 執務室で黒電話を握るのは長髪イケメンの魔王陛下。この軽薄な地の語りさえなければ結構もてるはずなのに。まったくもって素材の無駄遣いだと言いたい。
『僕はたいしたことしてないから。結局お役に立てなかったし』
 で、対する相手は、
「んなこたぁない。さすが神様だよ。俺より二、三枚うわてだって」
 神様でした。
『偶然だよ。でも、僕は結果的に彼女を幸せにできたし、彼女も僕を不幸せにできた。そっちもこっちも望むモノを相手に贈れたんだ。お互い計算は合ってるはずだね』
 んだなぁ、と魔王は頷き、
「でさぁ、俺ンとこは損も得もしてないからまぁいいんだけど……もしかしたら、もしかしたらだけどさ、そっちは逸材逃しちゃったんじゃない?」
『さぁどうかな。――僕は美味しい店に連れてってくれたら満足だよ』
「そうそうそれよ。針の山タワーって知ってる? そこの〝ツンツンボラのフィンチ風定食エクセレントリッチ〟ってのがうまいんだ。そういや、そっちも明日非番じゃなかったっけ?」
 魔王のお誘いに、
『今日は絶食しなきゃね』
 神様は笑って返した。

 了






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2006年8月31日 (木)

日記とかあとがきっぽいモノを微かに

 あとがきをちょっとだけ。

 ネタバレは無いのでご安心くださいませ。(^^


地図屋渡る河 船頭渡す河
 これはいわゆる『環境小説』です。
 まぁ、私の造語なんですが。
 雰囲気を楽しんでもらうために書いた、そんな感じです。


プチプチの漢
 おバカですね。
 はい、おバカです。
 私の“おバカ”系列は画のない漫画、そんなモノを目指して書かれています。
 しかし、本物の漫画には遠く及ばないのでそこが悲しいところです。


超!
 これはダーク路線ですね。
 初めて買った文庫本が星新一のショートショート集でして、今でも星先生の作風は私の心を力強くハグしてます。


超?
 上記作品のセルフパロディになります。
 オリジナルの主人公はかなり『イヤなヤツ』だったので思い切って『愛くるしいヤツ』にしてみました。
木島ぁ!


アリとキリギリス伝説
 有名童話のパロディです。
 言わなくてもわかってる?
 そうですか、わかりました。
「有名童話のパロディです」なんてもう言いません。
 ええ、言いませんとも。
 ゆくゆくはグーグルの『アリとキリギリス』検索でトップをとる予定です。
 ちなみに百ヶ年計画です。


自警自治組合
 未来形ファンタジー、とでも言えるのでしょうか。
 初めて書いた小説っぽいモノで、且つ初めて書いた長編です。
 私がどこぞの軍属だった頃に持っていたヤサグレ感をそのまま出しています。
 そう、テーマはヤサグレ。
 すみません、テーマは嘘です。
 ちなみに棒男のモデルは弐瓶勉作『BLAME!』の主人公だったりします。その相棒も敵のひとりがモデルです。
 大好きです、弐瓶先生の作品


仄暗い洞の中で
 純和風ホラー……を期待した方、ごめんなさい。
 ちょっと違います。
 でも……私だったらこんなのイヤです。
 怖いから。


華麗なる鈴木青年(21)の事件簿
 コメディですね。
 しかも、タイトルがまんま有名漫画のパクリですね。
 ちなみに天才とか美形とかキラキラ背景とかは出てきません。
 私はいまだ丸ごとバナナを食べたことがなくて、だから書きました。

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2006年8月17日 (木)

掌編:『おバカ掌編:華麗なる鈴木青年(21)の事件簿』

華麗なる鈴木青年(21)の事件簿


 俺は鈴木太郎{すずきたろう}(21)、探偵だ……といつかは名乗る事になる、いわゆるフリーターだ。
 俺はビッグになるぜ! 全ての計画はこの懐の『丸秘手帳』に書かれているのさ! なぜ探偵になりたいか? 決まってんじゃん、かっこいいからさ! ……なっ、そ、そこ、何を笑う! 大事だろうが『かっこいい』これは最優先事項だぜ!
 と、とにかく今朝早く俺は不審な男を見つけた。こいつはどう見てもおかしいのだ。俺はこいつの正体を暴いてビッグになるのだ。俺みたいなただのフリーターが探偵になるにはでかいネタを見つけないといけない。一発逆転で人生を変えてやる。
 今、俺の横でコンビニの雑誌コーナーに釘付けの男。こいつが俺の追っている男だ。ついさっき見つけた。こいつはさっきも言ったとおり、すごく怪しいのだ。何が、どうおかしいかと言う説明は……いらないほどに怪しい男だ。春先だと言うのに厚いコート、しかも襟を立てて着込んでいる。目深にかぶった帽子、広く眼を隠す大きめのサングラス、さらに大きなマスクまで。これはもう「私は怪しい者ですよー」と叫んでいるに等しい。
 俺はたまたま、朝早くおきて目が冴えてしまったため近所のコンビニまで来た。そして、こいつを見つけてしまったのだ。
 この怪しい男が今この時、俺の隣で漫画雑誌を立ち読みしているのだ! 間違い無い。こいつはきっと何かの事件に関係している。俺のこの眼は騙せないぜ! その分厚いコートの中から怪しい空気を感じるぜ! いくらでかいサングラスとマスクをしたって無駄さ、俺の眼はごまかせないぜ! 何か膨らんでいる右ポケット! そして、その左肩の妙な下がり方! こいつ、左の脇に重い銃を釣っているな! 右のポケットは弾倉か? 怪しい、怪しいぜ! こいつの尻尾を掴んで俺は一躍その世界で(どの世界かよくわからないが)有名になるんだ! ふっふっふ、興奮するなぁ。『新人探偵大事件を暴く!』『闇にうごめく闇を絶つ、腕利き新星!』楽しみだ、俺の名がどんな風に世界に轟くのか。
 おっ? 怪しい男に動きが! 俺は眼を正面を向けたままで視界の端に奴の動きを捉えていた。奴はおもむろに……『週刊経済』と『週刊月刊時事ニュース』を手に取った。な、なに! 『週刊月刊時事ニュース』だと? どっちなんだ! 週刊なのか、月刊なのかはっきりしろ! 気になる、気になってしょうがない!
 その時だった! 怪しい男は新たな行動に出た。それはなんと『週刊経済』と『週刊月刊時事ニュース』の間にさりげなく、それはとてもさりげなく……エロ雑誌を滑り込ませたのだ! こいつ……やはり、只者ではない。今の動き、今の間合い、全てが調和の中にあった。恐ろしい男だ。こいつは人を殺す時もさりげなくやってのけるに違いない。それはとても自然に、とても鮮やかな手口で。……俺なんかがこんなすごい男を追っても大丈夫なのだろうか?
 少し心配になってきた。こいつは間違い無い! 『プロの殺し屋』だ! 拳銃だけでなく、おそらくナイフの達人……だから、目の動きを追われないようにサングラスをしているのだ。やばい事になってきたぜ。まさか、こんなにやばいヤマだとはな。だが、俺も男だ。ここで一旗あげてやる! 怪しい男、今日が年貢の納め時だぜ! この新人気鋭の探偵(になりたいだけの本当はただのフリーター(21))がお前の尻尾を掴んでやるぜ! きっとさっきのエロ本はこれからのハードな殺しの前に読む心の安らぎなんだ。こいつは長い間こうやって心の安らぎを得てきたに違いない。なんて恐ろしい世界だ。常に緊張感を失わないその心、俺も少し見習うところがあるぜ。
 ん? とうとうレジに向かったか。な、何、今度は『丸ごとバナナ』だと! 畜生! 俺も食いたい! だが、今日はちょっと金欠だ! 悔しいがその『丸ごとバナナ』はお前の物だ……くっ。泣くな、鈴木太郎(21)、いつかお前もあれを食える日が来る! 俺がビッグになったら毎食のデザートに『丸ごとバナナ』だ! ふっ、怪しい男よ感謝しろ。お前が薔薇色の日々への踏み台となるのだっ!
 怪しい男がコンビニを出るようだ。怪しまれないようにさりげなく尾行するぜ。ささっ……さささっ……つつつ……やるな、この男! 常に後ろも警戒している。用心深く時々振り向きやがる。そのたびに電信柱に隠れる俺もさすがだぜ。
 少し歩いて気がついた。……この道は? ま、まさか、俺はまだビッグになっていないのに……いや、しかしこの坂の上には、もう……。そうなのだ、この道の上にはもう俺の家しかないのだ! まさか、俺がビッグになる前に始末しに来たのか? だが、それなら俺が隣にいた時に気付くはずだ。そ、そうか、こいつ、かなりの腕だが、同じくらいにおっちょこちょいなんだ! わかってきたぜ、こいつは俺の家の前でエロ雑誌を読んで心を落ち着かせながら『丸ごとバナナ』を食べるつもりなんだ。その後で、俺を……。しまったぜ! まさか、そんなにその世界(どの世界かは相変わらずわからないが)で有名になっていたとはな。俺としたことが……あまりに輝きすぎていたのかっ?
 なにっ、奴が俺の家に入っていく! なんて事だ。エロ雑誌と『丸ごとバナナ』は仕事の後で楽しむのか? このままでは俺の家族が危ない! ヤルしかない! 俺は意を決して奴に飛びかかった。
 ところが俺は……手前の階段で思いっきりこけてしまった。マズッ! こ、殺される!
「何やってんだぁ? 太郎」
 はぁ?
「え? お、親父?」
「おめぇ、自分の親父の顔も忘れたんか?」
 怪しい男がサングラスとマスクを取る。
「お、親父ぃ! お、親父は殺し屋だったのか?」
 くっ、しまった! 口走ってしまった! もう後がない!
「頭ぁ、どっか打ったんでねぇか? おめぇ」
「だ、だって親父、不自然な左肩! 膨らんだ右ポケット! でかいサングラスにマスク! 目深にかぶった帽子に分厚いコート! こ、殺し屋……じゃないんか?」
「あほかおめぇ。肩はただの寝違い。ポケットの中身もほれ……タバコと財布じゃ。だいたい俺はもとから花粉症やげ。マスクもサングラスもそのためじゃろが。風邪もひいとるから暖かくしとらんといかんしのぉ。この帽子もおしゃれじゃ、おしゃれ」
 なんという事だ。怪しい男は……俺の親父、鈴木貴之{すずき たかゆき}(50)その人であった。俺としたことが……ふっ、俺もまだまだかけだしって事か。まぁ、はじめは誰でもこんなもんだろうさ。はっ! そういえば。
「親父ぃ! 見ぃーたぁーぞぉー。エロ本、買ったじゃろ? 俺は見とったんもんねぇ、もう逃げられんなぁ。お袋に言っちゃおうかなぁ、っと」
「た、太郎! ちょっと待て、ちょっと待て! 早まるな! わ、わかった、これで手を打とうやないの。これをやる。だから、この事は母ちゃんには内緒にしてくれんか。頼む!」
 親父は振るえる手で『丸ごとバナナ』を差し出した。
「わかった。手を打とう」
 ひとつのヤマが解決した。しかし、今日も明日も事件は俺を待っている。ふっ、朝日がまぶしいぜ!

 了












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2006年7月28日 (金)

掌編:『仄暗い洞の中で』

 仄暗い洞の中で

 福井雄二が目を覚ました狭い部屋は、床も壁も天井も全てが岩だった。
「どう……くつ?」
 天井が低い。一七八ある雄二は中腰で立った。生徒指導の織田から何度も切れと言われた長髪をかき上げ、薄暗い部屋を見渡す。
「マジ?」
 全ての面が細かく波打つ洞窟は三メートル四方ほど。雄二にもここが天然のものではなく手掘りの〝何か〟らしいとすぐにわかった。
 壁から突き出たカンテラのような電灯が橙の光で岩肌を照らしている。雄二は壁に触れた。ざらりとした玄武岩はかすかな湿気を帯びている。離した手を腰で拭った。
「さむ」
 室温はさほど低くはないはずだが、置かれた状況にひとつ震えた。上は宇宙人グレイのプリントTシャツ、下はバイト代で買ったヴィンテージの503ブルートリップ。なりの頼りなさもその理由だったのだろう。左手で右の肩をさする。
「なに? どうなってんの?」
 質問したところで誰かが答えてくれるはずもなく体感温度をさらに下げただけだった。
 加速する焦りに押され髪を振り、周りを凝視する。右に左に下に上に、また右に。視線は乱れた順路を三度走り、岩を縦に割る隙間を見つけた。なぜ気付かなかったのかと思うほどそれは確かにあった。
 隙間を覗く。雄二自身の身体が邪魔になり光は闇を払えない。しゃがんだがそれでも明かりの角度がいまいち悪く先は見えない。
「チックショー! なんだここ! クソ!」
 岩を蹴り悪態をついた。結果何の変化もない事は言うまでもない。
「なんなんこれ」
 雄二は腰を落としたまま記憶を辿った。視線は自然と左上へと向かう。
 六時からバイトが入っていた。だからセンター街を過ぎ店に向かった……はずだ。しかし、その部分の記憶が全くない。会社帰りのスーツ集団とバス停前の定食屋は見た。スポーツ用品店の前も通った。で、本屋の前を……通った記憶がない。
「なにがあった?」
 いくら頭をひねっても思い出せない。消費した時間と体力は何の対価にもならなかったようだ。
 記憶があてにならないとわかると再び隙間を見た。狭い、かなり狭い。それでも半身になれば通れないこともない……かもしれない。
「いけるか?」
 右腕を入れ右肩を入れ顔と胸も半分以上通った。通れそうだとわかると顔と胸を抜き右肩を抜き右腕を抜いた。両手で身体をはたき雄二は思い出した。
「あっ。あるじゃんよ」
 右のポケットからサンドポリッシュのオイルライターを出す。割と年季の入ったライターだ。これは新品で買ったものなのでライターの年季と雄二の喫煙暦は等しい。はじめは柄入りが気に入らなかったが今は気に入っている。
「これでどうよ」
 鑢{やすり}を回し着火した。揺らめく炎も目の前にかざすと電灯より数段明るい。右手に灯りを持ち身体を隙間に埋めていく。背と腹と腰にかかる岩の質感、圧迫感はかなりのもので雄二が閉所恐怖症だったなら通ろうとは絶対思わなかっただろう。
 じりじりと数メートルを進むとライターの火が寝るようになった。風があるらしい。
「外?」
 体中をこすり隙間を抜けると空間がひらけた。辺りを確認するより先に、出てきた岩に背を預け座った。中途半端に曲げていた膝が痛い。
「あぁ……」
 左のポケットからくしゃくしゃに潰れた包みを出し中を見た。
「しけてんな。一本かよ」
 最後の一本に火をつけた。赤い光は強くなり弱くなる。肺にためた煙の白を夜の黒に吐くと鼓動も幾分静まってきたようだ。
 疲れに首を折ると胸元のグレイが『今日は貴方をアブダクション』とにやけている。手には光線銃も忘れない。
「そりゃいいや。……笑える」
 ライターの蓋をカチンと閉じて星明かりひとつない真っ暗闇に疲れた声で呟いた。口から出た疲れは大概源流へ戻るもの。雄二も類に漏れず帰ってきたそれを受け取ったので全身がだるさと緩みで飽和した。
 膝に乗せた右腕の先、長い灰が脛に落ちると一度しか吸っていないそれを地面で消した。
「あ、れ?」
 違和感は冷気を撒き背筋を走る。右手で地面を撫ぜる。はっと身を起こし四つん這いになり両手で確かめた。
「なっ」
 湿気を帯びざらついた感触が両手に伝わる。壁を触った時と同じ触感が今地面にもあった。
 急いでライターに火をつけた。暴れる炎が不確かに手元を照らす。床に見つけたその色は玄武岩のそれだった。さっきの部屋と同じ質感、まるで手掘りされたかのような……。
 立ちはしたが、部屋にいた時よりさらに背を落とし目を細め辺りを睨む。何も見えない。炎をかざすもやはり何も見えなかった。
 いまさらに気味の悪さが身に染みる。左手を壁に、右手に灯りを携えて雄二は歩き出した。
 どこまで行っても左手と足元には玄武岩。妙な恐怖に追い立てられ歩は加速する。ゆるく右へ反った壁、先は見えず、星も見えず、足元の感触も硬いまま。腰骨から湧き上がる寒さで冷たい汗が止まらない。
 どれほどか歩き、靴底がこれまでにない物体を捉えた。グニッとした細い何かを踏んだのだ。左足をそろりとどけた。
「どっ……ゆうこと?」
 足の下にあったのはタバコの吸殻だった。そのまま左へ目を移すと岩に裂け目が。
「え、え?」
 いつのまにか風が絶えていた。溜まった空気の底から恐る恐る上を見る。やはり空に星はない。ないはずだ。幾分か夜目が利くようになった雄二は遥か上方に天井を見つけ下へ手を突いた。
「外じゃなかった……」
 左手の壁は高く高く弧を描き伸び、見えぬ対面に繋がっていた。ここは出口のないとてつもなく大きなドーム状の洞だったのだ。
 わけがわからない。ここがどこだかわからない。これからどうなるのかわからない。何もわからないまま雄二は岩の隙間で身を削り唯一明かりのあった小部屋へと戻った。
「どうなってんだよ……」
 ライターのオイルはさほどもたずに切れるだろう。しかし、この部屋なら暗くはない。頭上に明かりが、背中と向かいと左右に揺るがぬ壁が、すぐ上には天井もある。
 不思議な安心感、雄二は膝を抱え深い眠りに落ちていった。

『対象は小部屋で落ち着きました。終了してください』
 雄二は眠りの中で声を聞き、すぐさま揺り起こされた。
 視界が戻るとそこは本屋の前、見慣れた夕暮れの通りだ。
「大丈夫ですか?」
 マイクを持ったスーツの男が正面に立っている。
「あ……あぁ、そうか」
 プロテクトされていた記憶もすっかり戻り雄二は全てを思い出した。だるそうに手を頭の後ろへ回すと長い髪を掻き分け首に刺さったプラグを抜いた。髪を切れと織田が言うのも当然だろう。
「当番組の電脳アンケートにお答えくださりありがとうございます」
「はぁ、どうも」
 電脳とは脳とコンピュータを融合させる技術の総称、体感時間一時間弱の雄二の経験は合法電脳ハック(コンピュータを介して脳をコントロールする技法)によって作られた実質数秒の疑似体験だった。
 国民総電脳化が実現して数年、多くの心理テストやアンケートも精度を上げるためこの手法を用いるようになっていた。筆記や口述とは違い、嘘はつけないし曖昧な答えも排除される。実に効率のいいアンケート方法なのである。
 今回雄二が受けた電脳アンケートの内容は〝出口のない洞窟に閉じ込められた時、明かりのある狭い場所へ戻ってくる人は百人中○○人〟というもの。人気番組のサンプリングだった。
 ちなみに自分のアンケートデータが放送されると寸志をもらえる。雄二がバイト前に電脳アンケートに答えたのもそれが目当てなのだが、
「あの、これって放送されそうですか?」
「たぶん無理……だと思います。未成年者の喫煙シーンは出せませんから」
「あー、ですよねぇ」
 残念そうに頷いた。

 了


※ この物語はフィクションです。実在する人物、団体、番組とは一切関係ありません。











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2006年7月20日 (木)

掌編:『アリとキリギリス伝説』

 アリとキリギリス伝説

 彼がうちを訪れたのは風に雪の匂いがしはじめた頃でした。

「こんばんは、夜遅くにすみません」
 暖炉を離れ、戸を開けると背の高い見慣れない方がいました。
「こんばんは。はて、貴方はどなた?」
 彼はコートの首周りを右手でスッと締めて、
「僕はキリギリスです。楽師をしています」
 彼は左手に提げたくびれのある黒い鞄を見せました。
「ほぅ、楽師さんですか。さぁさぁ、寒かったでしょう。お入りなさい」
 彼を暖炉の前に通して毛布を一枚と、温かいスープの入ったマグを渡しました。
「ふぅ……落ち着きました」
 私はもうひとつ椅子を引っ張って来て、
「キリギリスさんは見慣れない御姿ですが、どちらから?」
「私は北のほうにある中央公園から来ました」
 彼はスープをもう一口すすります。
「なんと、中央公園ですか。都からではこのなかよし公園はさぞ遠かったでしょう?」
「そうですね、想像以上でした」
 彼のマグが空になったのを見て、もう一杯いかが? と聞くと、彼はもうしわけなさそうに、でも、嬉しそうにマグを差し出しました。
「車道もあったのでしょう?」
「はい」
 一言で一度言葉を切って、スープを一口、
「ありました。大きな通りが六つほど、でしょうか。車が怖いので夜に渡りましたよ」
「勇気がおありですね。私達には、ちょっと無理です」
「僕には、頼りないですが羽がありますから」
 彼はちょっと照れて背中をさすった。
「こんな遠くまでどのような御用事で?」
「この辺りの公園に、英雄的なキリギリスの物語があると聞きまして、それで一曲だけでも弾き語りたかったのです。御存じないですか?」
 私はちょっと考えて、
「すみません、私はちょっと」
 キリギリスは遊び人でぐうたらだ、と聞いた事があったので、何かの間違いだと思ったのですが、彼は話とは違う雰囲気でしたからそれには触れませんでした。すると、
「そうですか」
 彼はひどく落ち込んだ風でしたので、
「もう雪も降りますし、うちでよければここで冬を越されて、また探すのもいいと思いますよ」
 彼は何か苦しそうな表情を見せましたが、
「ありがとうございます、御世話になります」
 と丁寧にこたえ、お辞儀をしました。

「キリギリスさんの歌って素敵ね」
「バイオリンも素敵よ」
 あれから四日、昼の暖かい日が差している頃を見計らって、彼は広場でアリの仲間達に歌と楽器を披露してくれました。その年はどの家も年越しの蓄えも少なく、皆疲れた顔をしていたのですが、彼の演奏を聴いている時だけは違いました。
 でも、うちを出る時必ず一瞬寒そうに震えるので、さすがにその日は止めたのですけれども、結局その日も皆を楽しませたのでした。
 私は帰って来た彼を奮発した食卓で迎えて、
「キリギリスさん、今日は食べてもらえますよね?」
「いえ、泊めていただいているのに、大切な御飯まで御馳走になるわけにはいきません」
「毎日そう仰いますが、大丈夫。たくさんありますから、どうぞ遠慮無く」
 彼はぐぅ、となるお腹を押さえて、
「とても嬉しいです。でも、実は僕、お肉を食べられないのです。ですから、お気持ちだけいただきます」
「え、それでは何をお食べになるのです?」
「葉っぱとお野菜なら」
「そうなのですか。では、冬眠はすぐなのですね」
 彼はちょっと考え、
「そうですね、今夜辺りそうさせてもらいます。御迷惑かと思いますが」
「迷惑だなんてそんな事ありませんよ。おやすみなさい、いい冬を」
「はい、おやすみなさい」

 彼は次の朝、亡くなりました。初雪が降った静けさのしみる朝でした。キリギリスさんは冬眠をしない、と知ったのはその後すぐです。
「キリギリスさん」「キリギリスさん」
 皆が悲しむのをみて、
「私達を元気付けてくれたキリギリスさんの事を忘れないように、本に書いて語り継ぎましょう」
 皆無言で頷くのでした。
 その冬はキリギリスさんの残してくれた身体もあって、皆無事に冬を越す事ができたのです。

 *

 私は長く伝わる背の擦り切れた本を閉じました。
「ここがあの伝説の公園だったのですね。御話を聞けて、はるばる来た甲斐がありました」
「そうですか、私達も旅の方にはいつも喜んでいただけて嬉しいです」
 旅の楽師さんに暖かいスープの入ったマグを渡し、一言つけ加えます。
「葉っぱもお野菜もたくさんありますからね」

 了












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2006年7月14日 (金)

掌編:『地図屋わたる河 船頭わたす河』

 地図屋わたる河 船頭わたす河

 麻の背負い袋をおろすと、青年は大きな河の前で足を止めた。
「大きな河だ。しかし、どうしよう? 向こうに渡りたいのに」
 草鞋を履きなおし、荷物から水筒を出すと唇をぬらす程度に口にする。
 水筒を荷物に戻した時、彼に向けられた声がさらりと届いた。
「のってくかい?」
 気付くと、河に一艘の渡し舟、その上に船頭がひとりいた。
「御願いできますか?」
「さ、のりな」
 船頭が船を出す。青年は見えない対岸のほうを一目見て、船頭に向かって座りなおした。
「大きな荷物だね。にいさんの御仕事は?」
「私は地図屋です。街道、山や川、森や町を細かく書き記すのが仕事です」
「そうかい、にいさんは地図を書いているのかい。いろいろな所へ行ったんだねぇ」
 青年は荷物の中から幾つもの巻物を出し、
「ここへ来るまでにも、これだけを記しました。でも、旅の途中でどうしてもここを渡らなくてはならなくなり、困っていたんです。渡してもらえて助かります」
「うん、わしもこれが仕事だからねぇ。たくさんの人を渡したよ。大きい人も小さい人も、女の人も男の人も、若い人も老いた人もね」
 そうですか、と青年がこたえると、
「そうだ、にいさん、御願いがあるのだけど聞いてくれるかい?」
「どんな事でしょう? 今の私にもできる事なら」
「わしはたくさん渡したが、向こうの事はよく知らない。向こうでも地図を書いてくれないかな。こんな風に森があるのか、こことこことここに町があるのか、と楽しめるから」
「もちろん書きます。地図屋ですから。もうこの河を渡る事はありませんが、書けたら届けに来ますね」
「そうかい、ありがとう。楽しみにしているよ。さて、ついた。忘れ物の無いようにな」
「はい、ありがとうございます」
 青年は麻の袋を背負うと、岸に立った。足元は白い玉砂利で、とても美しいところだった。
「いい旅を」
「船頭さんも御身体に気を付けて」
 頭を下げると、渡ってきた三途の河を、見えない対岸を一目見て、青年は歩き始めた。

 了










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おバカ掌編:『プチプチの漢』

 プチプチの漢

「兄貴ぃー、も、もう駄目だー!」
「許さん! プチプチ前逃亡はプチプチ法裁判で死刑だぞ!」
 俺とマサは深夜のバイト、陶磁器を箱詰めするお仕事中だ。今日は昼の作業が滞っていたので俺達は残業である。
 マサはすでに限界を超えていた。このプチプチ歴十数年の俺にはわかる。プチプチの魔力に耐えられないマサはかなり辛い状況にあるのだ。
「あ、兄貴……プチプチ、してもいいですか? も、もう、俺」
「いかん! 俺達は逃げる事もプチプチする事も許されんのだ。耐えろ」
 マサの額から汗が頬へと伝う。相当に苦しそうだ。指先もプルプルと振るえている。
「プ、プ、プチプチしたぁーい!」
 マサの絶叫が商品と木箱の並ぶ倉庫に響く。
 耐えかねてプチプチに伸びる手、俺はマサの手をはたいた。
「馬鹿野郎! お前もわかってるだろう。このプチプチはな、商品を護ってくれる大事な物なんだぞ。そんな神聖なプチプチにお前って奴は……俺はお前はもっと骨のある漢{おとこ}だと思っていたんだぜ」
「あ、兄貴、すまねぇ」
 マサから顔を背ける。だが、マサのジレンマは俺にもよくわかる。俺も伊達にプチプチ道を歩んできたわけではないのだから。「プチプチは神聖にして侵すべからず」プチプチ界に名を轟かせた偉人がかつて言った言葉だ。プチプチをプチプチしたい、という衝動、しかし、俺達〝プチプチの漢〟はプチプチをプチプチしてはいけないのだ。
 マサは膝を突き、木箱の前に座り込んでいた。
 マサは名門プチプチ高(中高一貫)、プチプチ大を首席で卒業したエリートプチプチマンだ。プチプチの荒波の中で鍛えられた一般プチプチマンの俺とは違う。実戦においてメンタルな部分の弱さが露呈してしまうのも無理はない。
 俺もプチプチ道に入った当初は日々が辛かった。それでも、プチプチ訓練校で教わった言葉を胸に耐え抜いてきたのだ。「プチプチは神聖にして侵すべからず」そう、俺はこの言葉で己の弱さと戦ってきた。プチプチをプチプチしたい! という腹の奥底からこみ上げて来る強い感情に何度流されそうになった事か……プチプチの道は永く険しい。それは終わり無き旅路、環状線のようなものなのだろう。
 俺はプチプチを愛している。愛しているが故にプチプチしたい。マサを見ていると俺も辛いのだ。わかってくれ、マサ。
 ぐったりと冷たいコンクリートの床に手を突くマサをもう一度見て、決心した。俺も〝プチプチの漢〟だ。仲間を救えないままでは情けない。ジャンパーのポケットを探り、俺はスッと十センチ角のプチプチを差し出した。
「あ、兄貴。これは?」
 見上げるマサの瞳に希望が見えた。
「お前が使え。それだけしかないが、少しはプチプチできるぜ」
「兄貴……ありがてぇ。でも、でも、俺もプチプチの漢だ。プチプチをプチプチするなんて、許されねぇよ」
「俺は何も見てねぇ。そこにプチプチがあるなんてしらねぇよ」
「ありがとう、兄貴」
 そう、マサに渡したプチプチは俺の禁断のプチプチだ。プチプチをプチプチする事を勧めた俺は……ただでは済まないだろう。だが、これが漢と言うものだ。仲間のためには自腹も斬る。苦しんでいる仲間は放ってはおけない。これで俺は……。
「兄貴、楽しい、楽しいよ。でも、俺、もうこれでプチプチ道から脚を洗わないといけないんだな」
 マサはぽろぽろと涙をこぼしながらプチプチをプチプチした。
「何言ってるんだ。俺は何も見てねぇって言っただろう。これからのプチプチ道はな、お前達の時代だ。俺はお前がプチプチをプチプチしているところなんて見ちゃいねぇんだ。元気でな。マサ……あばよ」
「兄気ぃ!」
 マサの叫びを背に受け、俺はプチプチ界から消えた。俺は呟いた。もちろん、マサには聞こえなかっただろう。それでもいい。
「プチプチ界を……頼んだぜ」
 俺は新たな世界へ旅立った。
 そして、もちろん「あ、兄貴、残りの仕事は全部俺がやるんですか?」というマサの言葉も俺には聞こえてはいなかった。

 了










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掌編:『超!』

 超!

 サポートセンターに電話があったのが十時二分、十時四十八分ユーザー宅着、迅速確実真心が俺達のモットーだ。十五歳、女性、整った青白い顔と黒目がちな瞳が不安げに俺を見上げる。
「あ、あの、私どうなんですか?」
「あぁ、パルスが無いですね。正確な時刻は保健課に任せますが、御臨終です」
「えっ、そんな! でも、私まだ……」
 端末で彼女の補助脳にアクセスし、自壊させた。
「新庄、センターに連絡。ユーザーの死亡を確認、特例法通り告知の後、端末より補助脳停止コード入力、心停止時刻は十時五十三分」
「はい……送りました。はぁ、僕らの担当だけでも今月三件目ですね」
「だなぁ、ユーザーも御気の毒に」
 俺は、目と口をを開いたまま固まった御遺体に慈悲深い視線を送る。
「亡くなってからも補助脳なんぞに身体を乗っ取られるとはな」
「本当ですよ。死者に対する冒涜です。うかばれませんね」
「だなぁ」

 白に青のストライプ、ひらがなのメーカー名が書かれた社用ワゴンに揺られ、支社に帰る。ハンドルは入社半年の新庄の受持ちだ。数週間前から疲れのためか酷く眠く、だるい。こういう時は新人さまさまだ。
「腹減ったぁ。今日の腹具合はチャーシュー麺チャーハンセットかな」
「じゃ、僕は、八宝菜定食で」
「お、八宝菜もいいね……」

 ウチの会社は義体、義臓等のデヴァイスメーカーだ。このところ補助脳関連製品にリコールが発生している。ユーザーの生体脳が停止すると同時に自壊するはずの補助脳が、なぜか機能し続ける。こんな事例が数年前からぽつぽつあった。それもこの数ヶ月で件数は急激に増え、ウチだけではなく他メーカーも対応に追われている。
「やっぱり、うまい話ってないもんなんですね」
「うまい話? 何、オマエ変なのに引っかかったの?」
「はい? ……いえ、詐欺とかじゃなくてデヴァイスですよ」

 満車の立て看板と警備員がいるパチンコ店を横目に、「それが?」と返す。
「ほら、僕らの世代って試験とかあったじゃないですか?」
「へぇ、お前も試験受けたクチ? そういうの無くなってケッコウじゃない?」

「僕の次くらいからはそうです」
 柴犬もいいなぁ、と散歩姿を追って「それで?」と促す。
「デヴァイスって性能も上がって、しかも安くなってるじゃないですか。最近じゃ五歳児でもデヴァイス率四割って言いますし」
「新庄さ、それ言葉が変だろ。〝デヴァイス率〟じゃなくて〝デヴァイス組み込み率〟だ」
「そうですね。……いや、そうじゃなくて。ん、そうなんですけど、それはどうでもよくて」

 ひらひらと手を振り、
「はいはい、わかった。わかったから続けて」
「で、ですね、お金があれば勉強も運動もしなくていいって事でしょ? これってどうなんですか? ……デヴァイスメーカーの従業員してる僕が言うのも変ですけど」
「そりゃ、正論だけどね。金があればOKってのは昔からそうだろ? 現に俺達だって金のために走ってんじゃん。言い換えれば、どんな手段でも稼げば何でも手にはいるし、何でもできる。金の心配だけでしてりゃいいんだから、楽っちゃ楽さ。TVに出てたどっかの有識者さんも〝金イコール能力の構図はシンプルで社会をわかりよくした〟って言ってたぞ」

 新庄のかなり不満げな顔を確認し、してやったり、と俺は暫し悦に浸った。ワゴンが支社に着いたのはそれからほどなくだ。

「木島さん、新庄さん、お帰りなさい」
「うぃっす、ミサキちゃん」
「江守さん、ただいま」

 オフィスに入って手前の机、江守岬嬢にこたえると俺も新庄もスティールの机についた。
「さっき、本社から補助脳リコールの調査結果が来たぞ」
 と、机を挟んだ向こうから同期の野田、それに続いて向かって左の端に座る平沢係長が、
「そそ。それよ、もうね、ビックリなんだよ。新庄君も木島君も聞いてよ」
 適当に相づちだけうっておく。
「もうね! もう、超ビックリなんだ、これが」
「結果ってどんなです?」
「なんと、原因は〝補助脳の自我〟だってさ。こんなのがねぇ、〝自我〟だって。これなんて半月分のお給料で買えるヤツよ?」

 ウチの型遅れの製品を手にした係長は興奮気味だ。
「それって……高性能化によるものなんでしょうか?」
 新庄が言わなくてもいい事を言う。話半分に聞き流しておけばいいのにと思ったが口には出さない。
「そそ、そうなのよ。何てぇか、スゴイでしょ? ついに機械が自我を持ったって話なんだわ」
 アホラシイ、これも思うだけでやはり声には出さない。
 新庄と係長はその後も数分ほどSFな会話で盛り上がっていた。
「おぅ、忘れてた。そういや、木島。そこの棚のそれ、この前の健康診断結果。一応見とけよ、保健課から電話もあったから」
「保健課? 〝血中疲労物質過多〟とか言われんのかね」
 だるい身体を持ち上げるとB4の白い封筒を手に取った。ハサミを使うのも邪魔なので手で口をちぎる。
 デスクでぱらぱらと眺め、固まった。
 胃液がこみ上げてくる。口に手を当てたが、指の隙間から溢れた。
「木島? 木島! お前どうした! 大丈夫か?」
 皆が俺の周りに集まる。誰かが持ってきた青いプラバケツにあけた。
 バタバタと慌しいなか、俺はハッと気がつき健康診断結果の書類を隠そうとした。しかし、
「もしかして、悪い病気でもあったの?」
 係長がそれを手にした。「ふむふむ」という声はすぐに途切れる。見なくてもわかる。皆、係長の言葉を待っていた。
「木島君……君、死んでたの?」
 場が凍った。
「って、事はあれ? 今の木島君は補助脳ってわけ? スゴイよ! 超スゴイ! 補助脳ってなかなかやるね。そうか、これが電子人間か。そうなんだ……」
 他の誰とも違う理由で係長の声はうわずっていた。そして、続ける。
「そそ! 木島君は確かウチの製品使ってたよね? もしかしてこれ? 木島君の世代だとこれだよね、たぶん。スゴイな、これってこんなにスゴイんだねぇ」
 わざわざ戻って、さっきの補助脳を持ってきて俺に見せる。
「じゃ、仕事しますか」
 いつの間にか新庄の手には制御端末があった。
「お前。お前、何する気だよ?」
 袖で口を拭った。
「先輩、いや違うか。〝先輩の補助脳さん〟、先輩は御臨終です。ですから、特例法により停止コードを入力するんですよ」
「やっ、やめろ! やめ、てください」
「無理ですね。〝法律〟ですから。……先輩、ほらね。お金ではどうにもならない事ってあるみたいですよ?」

 人間……否、俺は人間ではないらしいが、どうにもならないとわかると案外開き直れるようだ。
「はっはっ! 新庄、やっぱお前なんにもわかってねぇよ。法律も金で買えるんだぜ」
 続く新庄の返事はヤツらしく正論だった。
「たとえそうでも、今の貴方は法律を買えない」
 新庄の指が端末に触れた瞬間、俺は。

 了










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おバカ掌編:『超? ~もうひとつの物語~』

 超?

 サポートセンターに電話があったのが十時二分、十時四十八分ユーザー宅着、迅速確実真心が俺達のモットーだ。百十五歳、女性、上品な青白い顔と黒目がちな瞳が不安げに俺を見上げる。
「あ、あの、私どうなのですの?」
「あぁ、パルスは……。いつからなのか正確な時刻はわかりませんが、ぐっすりと睡眠中です」
「えっ、そんな! でも、私まだ十一時からはじまる〝夏のドテラ〟の再放送を視てませんのよ?」
「奥様、心配要りませんよ。新庄、あれを」

 リモコンを手に取ったタキシードの新庄に目配せした。
「はい……予約できました。まさに技術の進歩、HDDレコーダーは番組表付きで簡単録画です」
「まぁ、素敵。科学の勝利ね」

 彼女は胸の前で手を合わせた。
「いつでもどこでも(誇張)お楽しみいただけます。さぁ、マダム」
 新庄はスッとリモコンを彼女に渡す。

 白に青のストライプ、ひらがなのメーカー名が書かれた社用リムジンに揺られ、支社に帰る。ハンドルは入社半年の新庄の受持ち。俺は数週間前から飲み始めた〝コエンネーターT1000〟のおかげか気力充実、体調万全、お肌プリプリだ。こういう時は自分で運転したくなるから不思議だな。
「腹減ったぁ。今日の腹具合は半ペペロンチーノ半ナポリタンセットかな」
「じゃ、僕は、ピザ定食で」
「お、それもいいね……」

 ウチの会社は義体、義臓等のデヴァイスメーカーだ。このところ補助脳関連製品が注目の的になっている。ユーザーの生体脳が睡眠すると同時にちょいと一服するはずの補助脳が、なぜか機能し続ける。こんな事例が数年前からぽつぽつあった。それもこの数ヶ月で件数は急激に増え、ウチだけではなく他メーカーも対応に追われている。
「うまい話って本当にあるもんなんですね」
「うまい? 何、美味しい店でも見つけた? 教えろよぉー」
「はい? ……いえ、食事とかじゃなくてデヴァイスですよ」

 満車の立て看板と警備員がいるパチンコ店を横目に、「なぁんだ」と返す。
「ほら、僕らの世代って人生八十年って言われてたじゃないですか? それも今では百歳オーバーが普通なんですよね」
「あぁ、言われてたね。でも、そういうの聞かなくなってケッコウじゃない?」
「僕の八番目の弟くらいからは知らないみたいです」

 柴犬もいいなぁ、と散歩姿を追って「それで?」と促す。
「さらにくわえると、デヴァイスって性能も上がって、しかも安くなってるじゃないですか。最近じゃ五歳児でもデヴァイス率四割って言いますし」
「新庄さ、それ言葉が変だろ。〝デヴァイス率〟じゃなくて〝デヴァイス組み込み率〟だ」
「そうですね。……いや、そうじゃなくて。ん、そうなんですけど、それはどうでもよくて」

 ひらひらと手を振り、
「はいはい、わかった。わかったから続けて」
「で、ですね。デヴァイスってうまく使えば……例えば生体脳が寝ててもデヴァイスが起きててくれたら、深夜のテレビも生で観られるじゃないですか? ビデオもHDDレコーダーも否定しませんが、これってめちゃめちゃ便利ですよ」

 たぶん、俺は呆れた顔をしていたと思う。
「そりゃ正論だけどね。深夜番組見るためにデヴァイス使うなよ」
「だから、例えばの話ですよ。例えばの」

 バカバカしいと思ったのだが、俺の頭脳は三十三回転のレコードのように微妙な速度で回りはじめた。
「しかし、補助脳が働き者ならさっきのマダムのように素敵な老後を過ごせるのも事実。それってつまりさ、補助脳を鍛えればいいんだよな? なんでもひとり(?)でできるように」
「そうですね」

 俺は見えないパイプを咥えると、顎に手を当てた。
「刺激を与える、ってのはどうだ? 刺激を与えて鍛えるんだ」
「頭に電極でも刺すんですか」
「違う! 痛いだろ、それ。そんなんじゃなくてさ……工事現場のヘルメットの内側に、ツボ圧しのツブツブを貼って被る、とか」
「それも違いませんか? ……これはどうです? 頭の体操、エンドレスでひとりしりとり、って感じの」

 ひとつ唸った。新庄はキレル男、この素質は侮れない。俺も思わず意地になってしまう。
「あぁ、えっと、それも違う。違うぞ」
「えぇ、どう違うんです?」

 危機に対処すべく、俺は外へと希望を探す。
 赤信号で停車したスクランブル交差点、その電光表示版に文字が流れる。これだ!
「ミスコンだ! 補助脳のミスコン!」
「は?」

 心底わからないといった新庄の表情、言った俺も実はよくわからない。早く理由を探せ、探すんだ。
「つ、つまり……そう! ひとりしりとりは生体脳にとっても刺激なわけだ。俺が言ってるのは〝補助脳の補助脳による補助脳のための刺激〟なのさ!」
 今度の新庄は、少しわかるって顔だ。しかし、
「だったら、ツブツブだって……」
「過去は、忘れるためにある。見るべきは未来だぞ。なっ? 新庄」
「はぁ」
「帰ったら平沢係長に相談しよう。これはデヴァイス界の革命的イベントになるかもしれん。題して〝美女デヴァイスを見て補助脳を鍛えて長生きしようフェアー〟だ。ちょっと長いかな?」

 新庄のかなり不安げな顔を確認し、俺もそんな事できるわけないよな、と思った。リムジンが支社に着いたのはそれからほどなくだ。

 結局俺と新庄の不安は全く的中せず、イベントは本当に先日実現してしまった。補助脳が美人(?)補助脳の機能美に酔いしれる史上初の祭典となったのだ。
「〝ミス補助脳コンテスト〟、大成功でしたね」
「だね、ミサキちゃん。俺は、来る! って思ったよ、これ」
「先輩……適当な事を」
 新庄の呟きは聞かなかった事にしよう。
「部長もね、超褒めてたよ! 超大成功!」
 と左端のデスク、平沢係長だ。続けて向かいのデスク、同期の野田が、
「ちょ、超? 木島、今さら言い難いんだが、なんか変だろ?」
 手元のグラビア週刊誌〝ヨンデー〟の総天然色会場写真へ視線を落とし、
「うぅん。だよな、俺も思ってたんだ。準ミスのほうがグラマーだもんな。こう、腰がくびれてて」
 銀色に輝く数センチの補助脳、斜めにかかった極小タスキには〝ミス補助脳2005グランプリ〟とある。俺は準ミスのほうが妖艶だと思うんだが。
「腰? ここ腰だったんですね」
 新庄はやはりキレル男、飲み込みが早い。
「違うだろ」
 しぶとく野田は食い下がる。
「何が違うんだ? さぁ、言ってみろ」
 デスクに両の肘を突き、合わせた手を口に当てる。猫背で睨みあげるのも忘れない。
「方向性が違うと言うか、何かを忘れていると言うか」
 まるで雷に撃たれた感覚だった。俺は野田の言いたいであろう事にやっと気がついたのだ。
「なんて事だ! 野田、そうだ、大事な事を忘れていた」
「やっとわかったか」

 簡単な言葉がなんて重い。大きな成功の影にあった盲点、そこに気付いた今俺はそれを言わなくては。
〝ミスター補助脳コンテスト〟、しなくちゃな。(女性ユーザーのために)」
「木島、それも……」

 了










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